予算と技術者

2010年度予算の事業仕分け作業部会で国産スーパーコンピュータ(京速計算機)の予算が削減される見込みである。
予定されていた開発テーマが無くなることで、当該テーマにアサイン予定だった技術者の数年間の仕事が失われるのかと思うと同じ技術者として胸が痛む。
 
当該技術に携わっている人間はその技術に愛着を持ち、その仕事に必要性を感じながら(時にはそう思い込まされながら)日々の研鑽と弛まぬ努力をする。それを外部の人間に突然真っ向から否定され、中止に追い込まれるのは悲劇である。この責任を彼らだけに押し付けるだけでいいのだろうか。
確かに自身の取り組む開発の目的や根拠について組織内で議論するべきだった、というのは正論である。しかし、周囲の状況、景気の動向、守るべき技術資産の存在により目的の明確性の無いプロジェクトが運営されている事はままある。
 
技術開発には人員と開発を支える予算が必要である。与える側はその技術開発に投資を行い、リターンが得られる結果と共に、組織の都合で突然止めざるを得ない結果を考えているだろうか。
失敗した際のexit戦略として、蓄積された技術資産を捨てるのか守るのか。守るのであれば組織をどう改変し、どうダウンサイジングしていくのか。そこまで考えて組織責任者は予算を組んでいるのか。
 
予算を設定し、与えることで終わるのではない。その結果には必ず人と資産が発生していることを意識すべきである。